命には限りがある。
当たり前の事です。
でもその当たり前を本当に痛感したのは、やはり主人が亡くなった時です。
数時間前まで普通に会話をしていた人が、もう息もしていない。
その衝撃と感情は、未だにどんな言葉を尽くしてもあらわせません。
主人が亡くなった後、遺品を整理しました。
結婚指輪以外はほとんど処分しました。
寂しくないの?と聞く人もいました。処分しない人も多いのだと思います。
どちらが正しいのかわかりませんが、私は寂しくはありませんでした。
「ほとんど」と書きましたが、現実的に使える物は残しました。
彼個人にしかわからないものは、私にとって何の感慨もなかったので処分しました。
毎日、
「今日はこのエリアを整理しよう」
と決めて、最終的に1ヶ月かかりました。かなりの量を処分しました。
後で。と考えて、とりあえず置いておくような物は、大体は片付けないのが人間なのだと実感しました。紙類だけでも相当な量になっているのが現実です。
何であんなにさっぱり片付けられたのだろう?と考えた事もあります。
元々あっさり捨てる性格でもあるのですが、それでも多分、私にとってはその物の存在価値が、彼が生きていこそだったからなのだと思います。
その後、自分自身はあまり物を増やさないようになりました。
銀行口座も最低限に整理し、ポイントカードはもちろん、会員カードなどもほとんど作っていません。
洋服や雑貨などを買った時は、既に持っている似たような物や使用頻度の低い物を処分して、プラマイゼロにしています。
ただ、最近はデジタル遺産の整理をどうすべきか、頭を悩ませています。
余命が分かれば良いのですが、思い通りには行かないのでしょうし、やめ時を考えなければいけないのかもしれません。
とりあえず今は元気ですが、いつ死んでもいいように軽めの終活はしています。
それでもやっぱり、処分する人は大変なんだろうなあ。。