TOKYO MERというドラマを毎週観ている。
いいドラマです。
前回の放送で、主人公の妹が亡くなくなるという、涙なしにはいられないシーンがあった。
医療系のドラマを昔から好んで観ていたけど、一時期避けていた事がある。
フィクションだろうとノンフィクションだろうと、人の生死に向き合う事ができない精神状態にあったからだ。
これまでの投稿で何度か触れているが、私の夫は心筋梗塞で突然死した。
気づいた時に既に意識はなかったが、救急車を呼び病院に運ばれた。
医師は心肺蘇生を懸命に行なってくれていたが、しばらくして私は処置室に呼ばれ医師にこう言われた。
「もうこれ以上はご主人も辛いと思います。どうしますか?」と。
私に蘇生処置をやめる決断を委ねたのである。
身内が側にいれば勝手にやめる事もできないので、医師がそのように尋ねるのは当然の事である。
人間の寿命は神様にも決められないはずだ。
なのに、今まさに私がこの人の生命の終わりを決断しなければならない。
絶望しかなかった。
言いたくはなかった。
認めたくはなかった。
だけど「わかりました。ありがとうございました」と声を振り絞った。
言った瞬間に膝から崩れ落ち、言葉にならない声で叫んでいた。
その時の情景はいつまでも忘れる事ができない。
何度思い出しても苦しくなって涙が止まらなくなる。
そんな事があってから医療系ドラマやドキュメンタリーを避けるようになった。
亡くなるシーンは当然辛い。
だけど、なぜか助かるシーンでさえ辛かった。
この人は助かったのに、なぜ夫は亡くなったのかと、羨む気持ちがあったからなのかもしれない。
どんな場面でも生死を左右する場面が辛くて仕方がなかったので、観ないようにした。
まともに観るようになったのは、1年程前からのような気がする。色々受け止められるだけの時間が経ったからなのだろう。
ただ時折り、忘れかけていた頃に無理矢理のように思い出されるきっかけになる事がある。
それはドラマだけでなく、色んな状況で起きるが、突然だからかなり堪える。
冒頭に書いたドラマのシーンが正にそうだった。
主人公は妹に諦めずにずっと心臓マッサージをしていたが、周りが「もうこれ以上は。。」と止めていた。
自分とリンクして記憶が呼び起こされた。
ー 所詮ドラマだ
ー 感動した
ー 泣けた
昔、ドラマを観てそう感じるだけで終わっていた自分には、もう戻る事はないのだろうと改めて痛感している。