今日感じたコトを気ままに

日々感じた事を、気まぐれに書いていきます。

「名は体を表す」のか?

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皆さんは周囲の方から何と呼ばれることが多いですか?

私は今も昔も名字で呼ばれることが圧倒的に多く、子供の頃から下の名前で呼んでくれるのは両親や親戚くらいのものでした。

そんなこともあってか未だに下の名前で呼ばれると自分のことではないような感覚がして、少しこそばゆく気恥ずかしい思いがするのです。

なぜ名字で呼ばれることが多かったのか考えてみました。

・名字にインパクトがある。

・「○○ちゃん」と呼ばれるような可愛らしい性格でない(自分でもそう思っている)。

大方こんな理由でしょう。

しかし名字で呼ばれ続けた影響で、可愛らしい態度や性格になるタイミングを逸したような気もしています。

結婚前の名字は、西部警察というドラマの中で渡哲也さんが演じていた役名と同じでした。

ここであえて書きませんが、その必要もないくらい誰でも思い浮かぶほどの知れ渡った名字ではないでしょうか。

とにかく声に出した音の響きはインパクト大!

中学生の頃は女子の友達からでさえも「さん」付けされることなく名字で呼ばれ、挙句の果てに男子からは「団長」とまで呼ばれる始末。

多感な年頃です。もちろん相手は悪気もなく面白がってのことだったのだと思いますが、受け取る人によってはいじめに繋がる可能性もあったかもしれません。

幸か不幸か負けず嫌いな性格だった私はいじめだとは受け取らず、呼ばれ方に負けない態度で渡り合っていました。結果として、そんな時代が今の私の基礎をつくり上げていると言っても過言ではありません。

そのように呼ばれたことは正直嬉しくはなかったし、その名字で得をしたなんて記憶もありません。

それでも、自分自身は人の名前を面白がるような人間にはならずに済んだし、

何十年と会っていない友人にも名前を忘れられるなんてこともない、

新聞やテレビにでも名前が出れば特定されるから悪いことはできないという無意識の自覚と自制心が自然と養われた気がする、

なんてことは、生きて行く上では良かったのかもしれないと感じています。

「○○ちゃん」と呼ばれる人生だったら、もう少し可愛らしい性格になったのかしら? なんて思わなくもないのですが(笑)。

ちなみに、結婚前の名字だけでなく現在の名字もかなりインパクトがあります。その上かなり珍しい。ですから名字が変わってからも、悪いことはできないという気持ちは引き続き根付いています。

結婚したら平凡な名字になりたい。なんて思い描いていたものですが、相手を好きになってしまえばそんなことは二の次で、夫とも昔の呼ばれ方について「インパクトのある名前だから仕方ないね」なんて話題にしていたことを思い出します。

嬉しくなかっただとか得しなかったなどと書きましたが、結婚前の名字も現在の名字も大好きだし誇りです。

「名は体を表す」

この言葉が誰にでも当てはまるものなのか? と、ここまで書いても実のところよくわかりませんでしたが、私自身に関して言うなら、

「少なくない影響はあった」

これが結論でした。