ある女性のツイートがバズったというヤフーニュースを見ました。
内容としては、その女性は、
ー 通勤途中に若い女の子のスカートが経血で汚れているのに気付いた。
ー 咄嗟に近づき盾になり隠し、近くの店で代わりのスカートを購入し、女の子に渡した。お代も貰わずに。
ー それから数ヶ月経った最近になり、その女の子からお礼を頂いた。女の子がずっとお礼を渡そうと探していたらしい。
という話。
その女性の行動だけでなく、助けてもらった女の子のその後の対応も相まって、沢山の人を温かな気持ちにさせたのだと思います。
そして、ニュースのコメントを見ていたら、そのような場面に遭遇した時に声がかけられなかったという男性からの声があり、確かにそうだよなぁと頷いてしまったのです。
自分ならどうするだろうか。
相手がどう感じるか。と考える間もなく咄嗟に声を掛けてしまいそうです。
見えていない場合はどうしようもないけど、困っている人や恥ずかしい状況に置かれている人を見て、何も感じない人が大多数だったら、日々の生活は成り立たないのではないでしょうか。
世の中無関心な人が増えたと言われているかもしれないけど、私は、見て見ぬふりをしてしまった人も本当はなんとかしてあげたかったはずだと思っています。相手の反応が気になったり、その時はたまたま余裕がなかっただけなんだと。
ただ、声を掛けられた側の反応は様々でしょう。
ありがたく思う人もいれば、恥ずかしさの余りか、余計なお世話だとかで怒る人もいるかもしれません。
そんな事を考えていたら、昔あった出来事を思い出しました。
長野に遊びに行く予定で金沢駅で乗り継ぎをしようとしていた時のことです。
在来線や特急、新幹線の乗り継ぎをするエリアで、盲導犬を連れた男性がある位置で動けずに右往左往していたのです。
私はそっと近づきました。
私: 「大丈夫ですか?」
男性:「今私はどこにいますか?」
私: 「特急電車に乗るホームへ行くエスカレーターの前にいます。どちらへ行く予定ですか?」
男性:「改札から外に出たい。金沢駅から出たい」
盲導犬は改札に向かう方向がわからなくなってしまっていたようで、だからといってエスカレーターに乗るのも違うと、ずっと進めずにいたようでした。
私は改札口の方向を男性に言葉で伝え、男性はその方向を盲導犬に伝えました。
それでようやく改札が見える場所まで向かうことができました。
改札の前に階段があることを伝えると、男性は「もう大丈夫です。ありがとうございました」と、颯爽と階段を駆け降りて行きました。
なぜこの話を思い出したのかと言うと、実は私のこの日の対応が本当に正しかったのかと、未だに答えが出ていないからなのです。
咄嗟にしたことだったので、声の掛け方や伝える言葉が適切だったのか、盲導犬が混乱しなかっただろうか、余計なお世話ではなかったかと。
盲導犬にはちゃんと役割りがあって、パートナー以外の人が余計なことをしてはいけない、声の掛け方にも注意が必要だと、後から知りました。
状況によっては考えて動かないといけない場合もあるのだと思います。