今朝早く玄関のチャイムが鳴りました
ご近所さんでした
うちの家内が先日亡くなりました
葬儀も済ませて、今お骨になって家に帰って来てます
親しくしていた人だけにお伝えしようと思って朝早くからすみません
そう訪ねてこられました
以前から奥様が闘病中だとは聞いていましたが、とうとうその日が、、と胸が痛みました
後で伺います
そう伝えて、まだ寝起きだった私は急ぎご飯を食べてご自宅へ弔問に伺いました
ご主人は奥様の闘病生活を沢山お話ししてくださいました
10年前に大腸にポリープがいくつかみつかって取り、良性だと言われて安心していたのに、取りきれなかったものがあったようで数年後に癌が発覚
それを治療してしばらくは体調が良かったけど、2年後に肝臓に癌が見つかり治療
体調回復したけど、その2年後今度は肺に
それも何とか対処したけど、その2年後に骨に
次から次へと、そんな10年だったそうです
癌と闘っていた奥様に、よく頑張った、そうご主人はお話しされていました
抗がん剤をしている時は本当に辛そうで、見ているのも辛かったとおっしゃっていました
抗がん剤はもうしたくないという奥様の気持ちを受け止め、ご主人は最期は緩和ケアを選択しました
麻薬で痛みを抑えていたそうですが、それは痛みは抑えられども副作用も強く、抗がん剤をやめても、辛い様子でやはり見ているのが辛かったそうです
私個人からすれば
奥様は目一杯頑張ったし、ご主人も目一杯やれることをやった
奥様は心からありがとうと思っているはず
そう感じました
ご主人が本当に奥様を大切に思っていたことは話から充分伝わります
それでも当人達には簡単に割り切れないことも多いでしょう
病院選びや、治療法など後悔が色々あるとおっしゃっていました
その一方で、与わったもの(人生)だからこればかりはしょうがない、ともおっしゃっていました
うちの夫みたいに突然いなくなると、遺される側は心の準備ができないままだから本当に辛い
だけど、何年も死を意識して本人も周りも苦しむこともまた辛い
闘病の辛さは言うまでもなく、苦しむ姿を大切な人に見せてしまうことの辛さもあるし、それを見続けることも辛い
どちらがいいとも悪いとも言い切れないところが人生の難しさだと改めて感じています
個人的にはポックリ逝きたいと思う反面、ちゃんと色々整理する時間やお別れできる時間がある死に方がいいと思うこともあります
こればかりはわからない
それこそ、与えられた人生だから自分では決められない
明日はもうないかもしれないから、今日を懸命に生きるだけ
少なくとも私はそう思って淡々と、だけども懸命に生きているつもりです
人生の意味が見つかる訳でもないし、人生の柱も特にある訳でもない、特別刺激がある訳でもなく、ただただ淡々と
それを不幸だ、つまらない、と言われたらそうなのかもしれない
ただ、私は不幸だともつまらないとも思ってないし、淡々としている分、些細なことも面白いなって思う
与えられたものだと心の中で小さく意識しながら、淡々と、懸命に目の前のことに向かっている人、沢山いるんじゃないかな
人生の中で、何か猛烈に全力で自分を投げ出して向き合えることに出逢えたら、それはもはやラッキーだと思う