米同時多発テロから20年。
他国で起きた事とは言え、衝撃的な映像に目を疑いました。
この事件のニュースを見ていつも思い出すのは、恥ずかしながら自分に起きた出来事ばかりなのです。
その事件の2年前。私は勤めていた会社から命ぜられ、石川県から東京に転勤することとなりました。
私の勤めていた会社は、建設機械を製造する一部上場企業の子会社で、その企業のシステム開発を担っていました。
親会社に、とあるパッケージシステムを導入する為に、カスタマイズするというプロジェクトに配置され、システムの一部のリーダー的立場を任される事となりました。
忙しい毎日でした。残業も当たり前、徹夜もしょっちゅう、休みもほぼありませんでした。
それでも頑張れたのは、若さとやりがいがあったからなのでしょう。
そんな折、上司から別の仕事に関わるようにと指示がありました。
広島にある企業に前述のパッケージシステムを導入することになり、そのコンサルティングをする仕事でした。
現在進行形の業務でさえまだカスタマイズ中なのに、それを外部の企業へ導入するためにコンサルすると言う、矛盾しかない話。
現在進行中の業務は?と尋ねたら、それもやりながら。だと。
???????????
どこにそんな余裕が???
何度も何度も出来ないと食い下がりましたが、もう引き受けたから行かない選択がないようでした。
その日まででも激務によってかなり身体に影響を受けていたのですが、正直心まで折れかけました。
①月曜の朝は東京の職場で部下に指示を出し、午後から広島へ。
②火曜から金曜は広島の客先で仕事をし、金曜の夜に東京のアパートへ戻る。
③土日は東京の職場に出社し、部下がやってくれた仕事のチェック
①〜③の繰り返しでした。
自分の事など考える余地もない、考えたら止まる。止まったら二度と立ち上がれない。何も考えないようにひたすら仕事をこなしました。
それでも身体は正直です。
広島に居たある日、ホテルのベッドから起き上がる事ができず、一緒に仕事に関わっていた別会社の方に休む連絡をしたのです。
その休んだ日が同時多発テロの日でした。
酷い事件だったはずなのに、私は無感情でホテルのテレビを見ていました。
一緒に広島で仕事をしていた方には私の消耗が伝わっていたようでした。
東京に戻って暫く休んだ方が良いと助言してくれました。
お言葉に甘えて東京に戻りましたが、私はもうその日から東京の自社にも、広島にも行けなくなってしまいました。
毎日微熱が続き、職場から電話がある度に過呼吸の発作が起き、涙が止まらないという状態になりました。
止まったら立ち上がれない。
自分自身が感じていた通りになってしまったのです。
暫く静養してどうにかなるような状態ではありませんでした。
限界をとっくに超えていた状態だったのに、さらに重荷を背負ってしまったが故に、心まで完全に折れてしまいました。
幸いにも、様々な不調は会社を辞める事で解消されました。社会人としては失格なのでしょう。でも辞めた事に後悔はありません。
私にとっての9.11は、人間らしく生きる選択と大切さを知った日でした。