今日感じたコトを気ままに

日々感じた事を、気まぐれに書いていきます。

【繋がれた命】今私が存在している理由

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今日は実家のお墓参り。

気温は上がりましたが、雨上がりで風は爽やかで、空の青さと山や田の緑が鮮やかでした。

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ご先祖様に一年の無事を報告です。

終戦記念日でもある今日、祖父の事を改めて思い起こしています。

祖父は養子で我が家にお婿さんとして来ました。我が家は女系で、私の父も養子です。

私は長子で女だったので両親、祖父母は少しガッカリしたそうですが(笑)、次に弟が生まれ、それはそれは大変な喜び様だったそうです。

弟は結婚して子供が二人居ますが、女の子ですので、我が家の比較的珍しい苗字は弟の代で途絶えそうです。

私の夫の生家はもっと珍しい苗字ですが、これもまた女系で、夫とその兄が繋いできましたが、私達には子供がおらず、義兄の子供達も女の子だけなので、いずれ途絶える可能性が高いです。

家系を繋いでいく事も今ではこだわりも薄くなって来ていますので、仕方がないのかもしれませんね。

さて、話を戻して祖父の事。

祖父は男ばかりの兄弟の末弟で、結婚する前に海軍に召集されました。しかし出陣直前に敗戦となり、地元に戻ってきました。

そして、同じ町内の我が家に婿入りする事となりました。

祖父は信心深い人でした。子供の頃の私達きょうだいは毎日念仏を唱えさせられたものです。

また、町内で毎年行われる報恩講と呼ばれる仏事のまとめ役をやっておりました。

毎年町内の人が我が家に集まり、報恩講が行われる為、お坊さんも毎年我が家に宿泊しておりました。一家総出でお坊さんのお世話や、町内の人へのお世話をしなくてはならず大仕事でした。

子供だった私は、何で我が家がそんな事をしているのかと意味不明ながらも、それが毎年の恒例行事でしたので、普通なのかな?と思ったりもしていたのです。

今となっては大変な役回りを引き受けていたのだと理解できるのですが、我が家が代々行っていた訳ではなく、祖父が始めた事なのだと後々両親から聞いた時、改めて何故?と考え始めました。

祖父はあまり自分の事を話す人ではなかったので、本意はわかりません。

ただ、紙一重で戦争に出陣しなかった事で自分が生きている。その生きている意味を問い続けていたからなのではないかと。私は想像するのです。

祖父が亡くなった時、お寺さんからは「戒名代は無用」とのお言葉を頂きました。

戒名には貢献をした人にのみ頂ける特別な文字が入っていました。また「享年○○才」ではなく、「行年○○才」となっています。

祖父の人生がどんなものだったのか、直接聞きたかったと、歳を重ねる度に思います。

でも自身に困難が降りかかる度に何かに守られているように感じる自分がいて、祖父の生き様を思い出し、感謝するのです。

祖父が戦争に行って命を落としていたなら、今こうして、この場所で私が存在している事すらなかったのだと思うと、生きている事そのものが奇跡なんだと改めて思い知ります。

また来年、一年の無事を伝えられるよう大切に日々を過ごしたいと思います。